声をひそめて

日々の徒然。随時更新。

朗読

欅坂46のポエトリーリーディングで思うこと

欅坂46というアイドルグループの新曲が

ポエトリーリーディングを大胆に取り入れていてビビった。

きちんとポップソングになっているところ、さすがSMEと言うべきか。



同じSMEの先輩、乃木坂46は以前「乃木坂浪漫」で朗読やったりしてるけど

映像も撮って、いかにも芝居のお勉強の一環としての企画って感じだった。

乃木坂、好きですけど。



そういえば「ショートショート作家」として知られる田丸雅智氏の作品を

劇団EXILEのメンバーが読んでいる、なんて動画もある。



こうしたものを見ると、なんとなくではあるが

サブカル的なものに対するコンプレックスを

参加するタレントより、スタッフ側が持っているのではないかと思ってしまう。



そして逆に、朗読は「サイレントマイノリティー」な世界なのだなと痛感する。

オーディオブック「kikubon」を聴く

昨日、ボイスと制作のレッスンに出かけるときに

必ず持ち歩いているwalkmanをまんまと忘れてしまい途方にくれた。

もちろんスマホ(愛機htc j butterfly)でも聴けるけれど、

音質は正直walkmanの方がいいので音楽を聴く気にならない。

なので「オーディオブック」を聴くことにした。

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これはオーディオブック「kikubon」のスマホアプリ画面。

kikubonは声優・ナレーターの朗読が聴ける。

たしか基本ストリーミングだがアプリならオフラインでもいい。

長編になってくると、複数人で読む「ラジオドラマ風の朗読」となる。

セリフ部分はさすがに素晴らしい。

地の文は、他のオーディオブック同様、やはり抑制されているので個人的には物足りないが

長時間聴く場合は、これぐらいが丁度いいという意見もあるだろう。

もちろん、どれが正解というのは無いにしても

広がる朗読のエンタメ化の一つとして、非常に勉強になった。

とにかく長編を何時間にも亘って収録しているのが素直に凄い。


僕の朗読の方向性とは違っているけれど

たまにはwalkmanを忘れてもいいと思った。

詠むということ

ここ数年、数は多くないが人前で朗読をする機会がある。


どういうものを詠むかはその時のイベントの雰囲気や

共演者の内容によって、先生と徐々に詰めていくものが多い。

「自分が詠みたい候補に挙げた何作かのうちの一作」ということである。

これについて特に異論はなく、そうあるべきだと思う。

どうしてもこれでなければならない、というものもない、とも言えるが

それも徐々に固めていく。

お客様に聞いてもらわなければ話にならないのだから当然だろう。


僕が詠んだ作品をいくつか振り返ると、変わったことに気付く。

ハードボイルド、サスペンス、シュールなお笑い、推理もの・・・

実はどれもほぼ朗読の世界ではあまり取り上げられないジャンルである。

物語が男性中心で、共演者と差別化しようとすると

それまで僕もあまりチャレンジしたことのない作品を選ぶことになる。

自分が今まで、その作品が好きで詠むものは、基本的に人情ものが多かった。

人の心の機微を描く。

そうした物語を詠むのが好きだとは、みんな思わないかもしれない。


先日のイベント後、打ち上げの席で共演者から質問を受けた。

声の出し方や、役の演じ分けとか、主にテクニックの部分。

僕ごときが偉そうにいうことではないが、わかることは答えた。

でも僕がなにより重要だと思うのは、

「なぜその作品を選び、詠むのか」という動機の部分だ。


なんとなく、でもいい。

先生にこれを読みなさいと言われたから、でも構わない。

テクニックは二次的なものでしかなく、

作品と自分の関わりを少しでも見つけられたら、それがあなたの動機になる。

それを信じる姿からしか伝わらないものがある。


実は、僕はみんなのそこしか見ていない。

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全ての小さき者たちへ - JOY OF LIFE vol.4 雑感 -

音楽のイベントで朗読をいっしょにさせてもらうことはあるけれど

その場合は当然のことながら、音楽と朗読は区別されることが多い。


ところが昨日参加させてもらった「JOY OF LIFE vol.4」は

ほぼ交互に演者が発表を行い、その区別はするものの、それでも違和感を最小限に抑えられた。

これは企画者、演者、そして来場者の多くが趣旨を概ね理解し

互いにリスペクトできた幸福な空間になったからであり、

それは本当にスタッフの方々のおかげであると心から思う。

よく、演者は孤独だと言われるが

多くの支えがあるからこそ、舞台上は孤独でいられるのだ。



僕がこうしたイベントに初めて参加したときは、もっとアウェーな場面になった。

音楽のイベントだと思ったら、聞いたこともない朗読とやらが突然始まる。

誰にとっても初めてのことであり、観客に準備ができていなかった。

僕は棒立ちの観客に、座るよう促した。

後ろで先生が卓を操作するなか、かまわず僕は舞台で詠んだ。

恰好をつけるようだが

図らずも、あの夜あの場所で、朗読は最も過激な表現だったと思う。刺激的だった。



ポップミュージックと対すると、やはり地味な存在である朗読が

もはやこのイベントの中で特別なものでなくなった今、

そのクオリティを上げることは当然だが、はたしてそれだけが、あるべき姿なのだろうかと時々思う。

昨日のイベントは素晴らしかった。

しかし、より多くの人に聴いてもらうために、あの夜はみだしたように

常にはみだすことが必要なんだろうと思う。

というか、僕はそういう意識に自然となってしまうようだ。

それが、演者は孤独であるという本当の意味なのだろうか。

そういう目標を持つと、やるべきことが無限にあるような気がする。



昨日、あの夜に卓を操作していたI先生がスクールを辞した。

僕をただのやさぐれた野良朗読師になりかけたところを救ってくれた人だ。

ありがとう。どうかお元気で。

また、いつか会える日を楽しみにしています。



(昨日の僕 ↓)
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あと3日

土曜日に開かれる朗読発表用の本を作った。

今回の表紙は青色で。

厚紙は毎度おなじみ池袋の「世界堂」さんにて購入。


本を作ると、いよいよだなと思う。

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