音楽のイベントで朗読をいっしょにさせてもらうことはあるけれど

その場合は当然のことながら、音楽と朗読は区別されることが多い。


ところが昨日参加させてもらった「JOY OF LIFE vol.4」は

ほぼ交互に演者が発表を行い、その区別はするものの、それでも違和感を最小限に抑えられた。

これは企画者、演者、そして来場者の多くが趣旨を概ね理解し

互いにリスペクトできた幸福な空間になったからであり、

それは本当にスタッフの方々のおかげであると心から思う。

よく、演者は孤独だと言われるが

多くの支えがあるからこそ、舞台上は孤独でいられるのだ。



僕がこうしたイベントに初めて参加したときは、もっとアウェーな場面になった。

音楽のイベントだと思ったら、聞いたこともない朗読とやらが突然始まる。

誰にとっても初めてのことであり、観客に準備ができていなかった。

僕は棒立ちの観客に、座るよう促した。

後ろで先生が卓を操作するなか、かまわず僕は舞台で詠んだ。

恰好をつけるようだが

図らずも、あの夜あの場所で、朗読は最も過激な表現だったと思う。刺激的だった。



ポップミュージックと対すると、やはり地味な存在である朗読が

もはやこのイベントの中で特別なものでなくなった今、

そのクオリティを上げることは当然だが、はたしてそれだけが、あるべき姿なのだろうかと時々思う。

昨日のイベントは素晴らしかった。

しかし、より多くの人に聴いてもらうために、あの夜はみだしたように

常にはみだすことが必要なんだろうと思う。

というか、僕はそういう意識に自然となってしまうようだ。

それが、演者は孤独であるという本当の意味なのだろうか。

そういう目標を持つと、やるべきことが無限にあるような気がする。



昨日、あの夜に卓を操作していたI先生がスクールを辞した。

僕をただのやさぐれた野良朗読師になりかけたところを救ってくれた人だ。

ありがとう。どうかお元気で。

また、いつか会える日を楽しみにしています。



(昨日の僕 ↓)
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